
SNSでもリアルでも、
ここ最近、わたしを知ってくださる方、
興味を持ってくださる方も多くいらっしゃるので、
改めて、わたしうちほり ともみの自己紹介を、
ストーリー仕立てで綴っていきます

この記事から、何回かに分けて、
なぜ、食事に関する仕事をしているのか??
10代20代の苦ーい思い出も踏まえつつ、
軽ーく書いてみようと思います。
あまりにも人生が濃すぎるので
長編大作にならないように、自制します

20代、死と隣り合わせだったわたし
さて、今のわたししか知らない方は、
これを伝えると十中八九驚かれるんだけど…
19歳から25歳までの約6年間、
摂食障害というこころの病を経験しました。
ごはんが食べられない拒食からはじまり、
食欲がコントロールできなくて過食を繰り返す状態、
過食する自分を否定し、自分の力で嘔吐する
状態まで、まぁ、なかなかにこじらせました…
体重も、一番痩せている時で32kgまで落ちました。
20代の女性が体重30kg代ですよ…
完治した今振り返ると、なんて危険な状態に
いたんだろうと思います。
一番痩せていた時は、「いつ急死するかわからない」
と主治医に言われたほどでした

大好きだった食べること。
嫌いになった原因は…
摂食障害ってね、ダイエットや、スポーツ所以の
食事制限が原因になることがほとんどです。
でも、わたしの場合は違いました
わたしがごはんを食べられなくなったのは…
家族で囲む食卓が嫌すぎてストレスフルで
食べることそのものを避けるくらいに、
嫌悪感を持つようになったから。
中学くらいの時から、
部活や塾、図書館で勉強するなど、
いろんな口実をつけて、家族と同じタイミングで
食事をすることを、戦略的に避け続けました
10代の時は、食べることそのものは大好きだったし、
何かを作ることも好きだったから、
バレンタインディには友チョコなんかを作って、
仲良しの子たちと交換もしてましたね

本命の子にも、あげたようなあげなかったような。笑
負のエネルギーばかりだった、
家族との食卓
でもね…
父と母と弟と、一緒にごはんを食べる空間が、
とにかく好きじゃなかったんです
なぜなら、ごはんを食べる時は…
・成績の話(学校のテストとか、模擬試験とか)
・友達や弟との比較(大体わたしが下にされる)
・日常のお小言(洗面台の使い方、言葉の使い方、
お姉ちゃんだからどうこうとか)
そんな話が、8割9割をしめました…
また、
「いただきます」のあいさつに少しでも遅れて
ダイニングに着くと、不機嫌になって怒る父。
食事の最初から最後まで、テレビを見ながら
食べる父を、イライラしながら見つめる母。
そんな負のエネルギーばかりが溢れていたんです。

わたしが、食べる時の気持ちや空間にこだわる根本は、ここにあります!

空腹、そして栄養失調よりも、
自分の心を守らざるを得なかった過去
母は、栄養学科の短大を出た人。
なるべく手作りで栄養バランスも考え、食事を作って
くれていた。でも、負の空間では、何を食べても
美味しいと感じませんでした。
最初は、家族と同じタイミングで食事をしない選択
をしました。塾や部活で遅く帰ってきさえすれば、
一緒に食べなくて済むでしょ??
でも大学に進学したころ、家族がいる場所で
食事をするのさえ、ストレスになってきてしまった。
だから、家では何も食べない。
授業やバイトの合間に、お小遣いで買えるものを
ちょこっとつまんで終わり。
次第に、「別に、食べなくてもいっか…」の
選択をする頻度が増えていき…
母に病院に連れて行かれた時は、体重が40kg切っていました。
そこから、どんどん悪化して痩せていき、
20歳の時「このままでは、いつ死ぬか
わからない」状態に。
母に連れられて、いろいろなカウンセリングも
受けましたが、本心は言えませんでしたね。
「なんで食べたくないか自分でもわからない」と、
突っぱね続けました

拒食症で命を落とすかも状態になったわたし、どうなるのか…次回に続きます!