私もあなたも、“存在していること”に価値がある

私もあなたも、“存在していること”に価値がある

今、とある講座のワークで、
自分史というものを作成しています。

幼少期のことを両親にインタビューしたり、
学生時代のことを順番に振り返ったり、
今の自分の価値観や大切にしていることを書き出したりするのだけど、
最近、興味深い、というかちょっと衝撃的なことがわかってきました。
(自分史、ちょこっと公開・・・!!)

 


私ね、幼稚園くらいの時から、
「何かの能力が人より高かったり、良い結果を残したり
していないと、自分には価値がない」と思っていたんです。

どうして、そんな考え方が身についたのか、私にも分かりません。
まぁ、両親が厳しかったのは確かですが、きっとそれ以外の原因もあるのでしょう。
1つ確実に言えるのは、私は20年以上、
「私は、○○だったら価値がある」(=「○○じゃなくなったら価値がない」)という
自己観と一緒に生きてきたということ。

こう書くと「辛かっただろうな」「かわいそうだな」と同情してくださる方が、
少なからずいると思うのだけど、無意識にこういう思考に
陥ってしまっている人って結構いるんじゃないかな。

「仕事ができないと・・・」
「いい業績を出さないと・・・」
「家事をきっちりこなさないと・・・」
「可愛くないと・・・」
「スタイルが良くないと・・・」
「いい妻でないと・・・」
「いい母親でないと・・・」

・・などなど、いろいろあると思うのですが、
この条件付きの自己承認、適度であればモチベージョンになりますが、
行き過ぎると自己肯定感が低くなって、
自分を苦しめるだけになってしまいます。

私の拒食症も、実はこの条件付きの自己承認が
大きな原因の1つだったんですよね。
(・・・というのは、心と身体が戻った後、自分を振り返り続けて分かったことなのですが・・・)

 


私は今でも、結果や出来にはある程度うるさいし、
「過程がよければ結果が悪くても良し」は、必ずしも正解じゃないと思っています。
結果が全てなこともたくさんあるのが現実ですからね?

でもね、その結果や成果や理想が伴っていなくても、
やってきたことに、十分価値があるのは間違いない
そして、毎日を時に一生懸命、時にのほほんと生きている
自分自身に価値がある
そう思えるようになりました。

こう変わったきっかけって、
周りに合わせるのではなく、自分が望む方向に進みだした時に、
寄り添って応援してくれる人がいてくれたことや、
駄目すぎるところも受け入れて愛してくれる人ができたことなのだけど、
そもそもの前提として、
「私が完璧へのこだわりを捨てて、出来るフリをやめたこと」
大きかったと思います。

どんな自分も価値がある。
どんな自分も認めていい。

人には理想や憧れがあるものだけど、
そこにたどり着いていなくても、
価値が落ちたりなくなったりすることはありません。

私の周りにはストイックさんが多いので、月初めのつぶやきでした♪
2017年もあと半分、思い切り楽しみましょう(*^^*)

 

 

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